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2005年05月19日

『からだの文化人類学』 メディアとしての肉体

波平恵美子『からだの文化人類学』(大修館書店,2005.03)

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医療人類学関係の有名な著者の作。「からだ」に対する認識の変化を日本の事例を中心に考察している。

序盤の「やせ症」(拒食症等)に関わる記述が興味深かった。
現在の自分の肉体と,自分の理想である「本当の身体」の齟齬に悩み,“食べない”という消極的な活動によって安易な解決を見つけようとする。その結果,確かにやせることはできるのだが,やせる過程での“達成感”に中毒的な渇望を覚え,絶食を繰り返す。やがて“食べる”という行為の意味を見失い,食事を楽しいと思えず,“食べられない”という病気になってしまう。

「身体がある」ではなく,「身体をもつ」。肉体を精神と不分離な総体として考えることができず,肉体を,デザイン可能な対象,インテリアや衣類(あるいは「アバター」)のようなものとしてとらえてしまうことの弊害。それが,食事の軽視や誇大視につながり,安易に食べないことを選択したり,逆に無農薬野菜に執着したり。その状況の結果として,「やせ症」のような「食べること」を失った人々が現れるのだろう。

拒食の子供との食事というのは非常に辛いものらしい。彼らは食事の喜びを感じる能力を失い,既に「何のために食事をするのか」という命題が常態となる。まるで自殺志願者が「何で自分が生きているのかわからない」と考えるような存在の疑念。彼らが食事を“試みよう”とすること自体が,会食者の食事に対する感覚に挑戦している。目の前の食事を不味そうに嫌そうに食べる人と向かいあって,美味しく食事することなどできない。

「食べること」,それはケータイなどと同じく一つの「メディア」である。それは身体に関わるメディアであり,人と人とのコミュニケーションにとっては,かつて無くてはならない存在だった。だが,かつてのような肉体と肉体でのコミュニケーションを失った現代人,「肉体」というメディアを失った人々にとっては,もはや現実に会い,一緒に食べることよりも,ネットやTV,ケータイの方が重大事になる。やがて食事,あるいは性行為などさえ,自分の必要とするものを手にするための手段という視点で見るようになってしまう。こうしたところに,現代文化の病理の一因があるように思える。

期待していたのとは別の方面だったが,面白い本だった。

(「やせ症」なんかは,前読していた『ハサミ男』とも少し絡むね。ネタバレになるけど)


こうしたことをふまえると,下のリンクのような動向があるのはいろいろと興味深い。
あと2,3年もすれば,ネットを通じてチャット相手と「握手」できるような時代も来るのだろうか?

通話相手と握手のできる携帯電話(一つのアイデア)
触覚インターフェース『ハプティックス』の可能性(触覚インターフェイスの現状)
出会い系サイト+サイバーセックスの新サービス(身体コミュニケーションとしての“サイバーセックス”)
The 3Feel Online(セックスをモチーフにしたオンラインゲーム)


マルチメディア・インターネット事典:ハプティックス
三次元感触インターフェイス(広告)

投稿者 Myrmecoleon : 2005年05月19日 06:45

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